哲学とは、簡単に述べるとあらゆるものの真理を追求する学問である。
また、哲学は幅広い分野を対象とするが、特にアリストテレスが第一哲学と呼んだ学問を形而上学、第二哲学と呼んだ学問を自然哲学と言う。
本稿では、主に形而上学や自然哲学について個人的解釈を行い、物理学との関係を考えていきたいと思う。
形而上学
広辞苑によると、哲学的な形而上の意味は以下の様に定義されている。
時間・空間の中に形をもつ感覚的現象として存在することなく、それ自身超経験的な、ただ理性的思惟によってとらえられるとされる存在。
広辞苑より
そして、形而上学の意味は以下の様に定義されている。
①アリストテレスのいう第一哲学。哲学史・問題集・定義集・実体論・自然神学の5部から成る。
②現象を超越し、その背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟により或いは直観によって探究しようとする学問。神・世界・霊魂などがその主要問題。
広辞苑より
ここで言う、時間・空間の中に形をもつ感覚的現象とは、一見するとわかりにくいかもしれないが人間が時間経過と共に視覚等で観察可能な現象を意味するものと思われる。
例えば、風で落ち葉が飛ばされる様子などは、視覚や触覚、聴覚などで、時間経過とともに五感で感じ取れる現象である。これらは、何がどうなったかと言う言葉で表される通りに、非常に具体的な言葉で表すことが出来る。この様に、具体性のある形のあるものについては、形而下とも言われたりする。
それに対して、その現象はなぜ起きるのか?、なぜ存在するのか?と言う現象が存在する理由自体は抽象的であり、人間が自然現象の観察でその答えを得ることは難しいと考えられる。そこで、その背後にある仕組みについては、理性的思惟によってとらえる必要があると言う事である。それゆえ、形而上学とは形の無い(五感では認知できない)抽象的な物事の存在について客観的に考える学問を意味すると言える。
他にも、神や霊なども扱っているが、世界を作った存在=神、人に意識がある理由=霊魂の様に、人間が理解できない問題に対して抽象的な理由付けをした結果それらの概念が想像されたのだと考えられる。
現代科学の知識を用いて解釈すると、素粒子が4つの相互作用により様々な原子が形成される→分子や化合物ができる→タンパク質ができる→生命や人類の誕生となるので、神の存在とはこの宇宙を支配する物理法則と言う抽象的概念ではないかと個人的に思っている。また、人が個として思考し存在する理由付けとして霊魂を理由付けとして用いているが、現代科学で言えば脳を形成するニューロンによるネットワークの結果により人は意識を持ち思考していると言える。それゆえ、霊魂とはニューロン内に電流が流れている状態を意味すると考えられる。結果的に、脳内に電流が流れていない状態を死と考えることができるが、上記の様な霊魂=脳内に電流の流れた状態の意味であれば、意識が肉体から離れた存在である霊と言う概念は人のバイアスの中でしか存在しないものではないかと思う。
自然哲学
形而上学は自然以外のものに対しても存在を考える学問であったが、自然哲学とは自然現象についてのみ理論的考察を試みようとした形而上学であると言える。
それでは、その自然現象の背後にある法則について、どうすれば認知できるかと言うと、数字と言う客観的なデータを実験で得るのが合理的ではないかと思う。再現性の高い現象の背後には、対応する自然法則が何かしら存在すると考えるのが自然である。そうであれば、何度も実験を繰り返すことで、その背後にある現象を数字を用いて認識できる可能性がある。
例えば、ニュートンのリンゴの逸話などもそうであるが、物が落下する現象について実験でデータをとることで、落下すると言う背後にある抽象的な重力と言う概念、そしてその仕組みとして自由落下の速度と経過時間の関係、重力加速度の定数gが抽出され、v=gtの数式の存在が予言される。
常識的に考えて、人が自然を観察しただけで、上記の様な数式を見抜くのは不可能である。それゆえ、客観的な実験を行い、数字で定量化したデータを取ることで背景現象を認識することが重要だと考えられる。
この形而上学的な視点による自然に対する客観的なものの見方が、現代の科学科学を築く礎になったと言える。
まとめ
現代科学の視点で形而上学を言い表すと、この世界に隠された物理法則などの概念的な対象を考察する学問を意味すると思った。
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